時には人間のクイズ王を打ち負かし、時には医者として新たな治療を提案、時にはシェフとしてレシピも考案する。様々な活躍をする「IBM Watson」は、日々のニュースに登場。実際のビジネスにおける課題解決のソリューションや、新たな事業創出を実現するツールとして、Watsonは活躍の場を広げています。
IBM BlueHubとco-ba が共催する「水曜ワトソンカフェ」は、ゲストを招いてWatsonのリアルな活用法を共有し合い、現状の課題や今後の可能性について議論し合うサロンイベント。第三回目は、9月27日にco-ba shibuyaで開催されました。
今回の登壇者は、法人営業としてWatsonを含む先端技術を用いたシステム提案を行う江澤 美保さんと、新たな購入体験を提供するVRプラットフォームを開発するナーブ株式会社代表取締役の多田 英起さんです。
Watsonを駆使して顧客の課題解決や新たな価値を創出しているお二人のお話から、IT以外の業界でも活躍の場を広げているWatsonの現在と可能性を探ります。
一人目の登壇者は、システムエンジニアとして企業向けのウェブポータルや決済サービスの開発に従事した経験を持ち、現在はWatson含む先端技術の法人営業を務める江澤 美保さん。プレゼンの中で、昨年2月に『第2回 IBM Watson 日本語版ハッカソン』へ出場した経験と、顧客から寄せられるWatsonへの素朴な疑問の数々を共有してくださいました。
昨年、江澤さんが出場したハッカソンのテーマは「我々の暮らしを豊かにするサービスを生み出す」でした。当時すでにブームの兆しを見せていたVR技術の高い表現力と、Watsonの優れた頭脳を掛け合わせ、観光地をVRで疑似体験しながら旅行先を決める「VRプラットフォームこまち」を提案したそうです。
「『沖縄に行きたい』とデモアプリのマイクに話しかけると、現地のVR画像が表示され、オススメのツアーを提案してくれます。写真だけで目的地を選ぶのではなく、立体的でリアルな映像を観て、楽しみながら目的地を選ぶ体験を実現しました。
相手の質問文によって理屈っぽい人か、雰囲気重視の人かなど性格のタイプを判断し、前者であれば『年間〇〇万人が訪れる場所』のように定量的な数値で回答し、後者であれば『パワースポットとして有名』など定性的なデータで回答するような機能も設けました」
VRプラットフォームこまちではVRでの疑似体験と個人の性格に合わせた提案を通して行き先を選んでいきます。江澤さんは開発にあたり、旅行先を選ぶ時間のないユーザーでも、より手軽に直感的に旅行計画を楽しめる仕組みをゴールに設定しました。
(VRプラットフォームこまちで表示される画面、右下の緑のボールはWatsonとの通信中に表示される)
VRプラットフォームこまちは、会話文から意図を読み取るWatsonの開発者向けAPI『Natural Language Classifier』や、情報をランク付けする『Retrieve & Rank』を用いてユーザーに的確な目的地を提案するサービスです。ハッカソンでは限られた期間での開発だったため、想定される会話シナリオに合わせて、沖縄の観光地に関連する情報を事前に学習させました。
「今ならテキストから性格を読み取る 『Personality Insights』やテキストに表れるトーンや感情を分析する『Tone Analyzer』を用いて、よりきめ細かなレコメンド機能を作ってみたい」と江澤さんは語ります。
また、ハッカソンの行われた昨年2月から1年足らずの間に、Watson APIの精度がいかに向上したのかについても説明してくださいました。
「例えば、画像認識を行うAPI『Visual Recognition』は、学習させる画像データの枚数が少なくても、対象が何であるかを認識してくれるようになりました。また、音声からテキストを書き起こす『Speech to Text』の精度も向上していると感じます」
(この1年で日本語 APIには「Conversation」と「Natural Language Understanding」が追加された)
普段、Watsonを使ったシステム開発を顧客に提案していると、思いも寄らない質問を受けることもあるそうです。江澤さんは、Watsonの営業を行う上で頻繁に遭遇する”よくある勘違い”を挙げながら、経験を共有してくれました。
「よくあるのは、『Watsonて何億円で買えますか?』という質問です。ニュースで目にするクイズ王のWatsonと、APIとして数千円から利用できるWatsonの違いはあまり知られていません。
ニュースで取り上げられるようなWatsonは、特定の目的に合わせて学習を積み重ね、すでに完成されたものです。コアにあるWatsonの技術自体は、開発者向けのAPIとして一般の開発者向けに提供されています。
他にも、Watsonは自動的に学習して賢くなるのかという疑問に対し、「目的に応じた学習用データのインプットは欠かせない」とクライアントに説明するのも営業あるあるの一つだそうです。
“Watsonあるある話”に会場が沸くなか、質疑応答ではクライアントを的確に導くためにどうすべきかという質問が挙がりました。江澤さんが心がけているのは『そもそも何に使いたいのか』を問いかけることです。
「お客様の情報をヒアリングした上で、どのくらいの効果が出るかを検討し始めると、『そもそも必要なのか』という根本的な疑問にぶつかり、頓挫するケースも多々あります。
トップダウンで何かやってみろと言われたものの、データも揃っておらず、用途も定まっていないと的確な活用方法を導くのは困難。まずは何がしたいのかを具体化していく作業が不可欠だと感じます」
「導入目的や実現したいことが定まっていれば、具体的なソリューションはいくつも提案できる」という江澤さん。何ができるかクライアントとアイディアを出し合う瞬間が、「先端技術を扱う営業にとって最も楽しい瞬間」だと、笑顔でおっしゃっていました。
二人目の登壇者は、ビジネス向けのVRプラットフォームを開発するナーブ株式会社代表取締役の多田 英起さんです。
「VRとAIを活用して、画像解析の観点からわかる機械学習のメリットとデメリット ワトソンはやれば出来る子だった?かも?」と題し、VRプラットフォームを構築においてWatsonをどのように活用してきたのか、具体例と共に説明してくださいました。
ナーブ株式会社は、IBMのスタートアップ支援プログラムIBM BlueHubの第3期生で、約7億円を資金調達しているVR業界を牽引するスタートアップです。動画撮影や施設情報の登録、店舗用のVR体験アプリの管理まで一気通貫で行える「ナーブVRクラウド」を開発してきました。すでに旅行業界と不動産業界で導入が進んでおり、売上の増加やマッチング精度向上、運用コストの削減など、目覚しい成果を挙げています。
同社で代表を務める多田さんが目指すのは。VRテクノロジーを駆使して購入体験をアップデートし、後悔しない選択のできる世界です。
「これまで、人は購買行動の際に、『情報』から価値を判断し、購入するかどうかを決定していました。私たちは、VRによって『感覚』を元に購入すべきかを判断できる仕組みを作っています。
例えば、間取り情報や広さの数値を元に住宅を判断してしまうと、自ら想像していた状況と現実とのギャップに気づかず、選択後に後悔する可能性が高まります。しかし、VRを使うことで住宅の内見に近い体験ができれば、選択の際に想像とのギャップを少なくすることが可能になると考えています」
ナーブVRクラウドの開発においてIBM Watsonはどのような役割を担ってきたのか。多田さんは提供したいことのイメージはありつつも、実現には苦労したそうです。
「画像上にある物体や顔などを認識するWatson API『Image Recognition』を使って、お客様が何に興味を持っているのか、画像解析ができるのではないかと考えました。例えば、VR内見中に『この人はダイニングテーブルを見ている』といったお客様のデータを取得できれば、より質の高い提案が可能になります。
しかし、VR用の360°動画には歪みがあり、歪みの幅も一定でないため、Watsonが正しく対象を認識できませんでした。あらかじめ歪みを補正した上で認識できると、ちゃんとテーブルとして認識できます。Watsonにとってノイズになる情報をいかに前処理で取り除いてあげるかが鍵です」
ワトソンカフェでも頻繁に話題に上る学習データをいかに用意するかという課題。テキストデータだけではなく画像データにおいても、Watsonが理解できる形にデータを整える役割が人間に求められています。
もう一つ、WatsonがナーブVRクラウドにおいて活躍したのは間取り図の切り抜き作業です。物件のVR動画を撮影する上で、間取り図データが必要です。ただ、このデータは、紙でしか保存されていない不動産屋も多く、チラシから人力で切り取る作業が発生していたそうです。
多田さんがWatsonで画像解析をすると、「四角い」以外に間取り図の特徴を抽出するのは難しく、チラシに載っている他の四角い図形と区別できませんでした。
また、Watsonは人の顔以外の座標(画像内のどこに写っているか示すデータ)を抽出できないため、切り抜きを行うには座標データを取得しなければいけません。そこで多田さんはインテルの画像解析用ライブラリOpenCVと組み合わせました。
「まずはOpenCVで画像から四角い図形の座標を取得し、Watsonが間取り図に最も近い画像を選ぶシステムを作りました。するとWatsonは間取り図がどれであるかを正確に検出してくれます。
このようにWatsonの得意・不得意を踏まえて、他のツールと組み合わせれば一層Watsonを便利に活用することができます」
質疑応答では、不動産事業に携わる人から「リノベーション工事の提案にも使えそう」とアイデアの提案もありました。リノベーション工事について、多田さんは「タグ付け機能を用いて、類似した画像から工事後の状態を見せるような機能」をすでに検討中だと答えてくださいました。
また、実際に物件を探すお客さんに対応している参加者からは、「口頭で伝えきれない情報を伝えられそう」とVRへ期待を寄せる声も。多田さんは「不動産の成約率は平均5、6割と言われているが、VRを見ていただくと8割に跳ね上がる結果も出ている」と語ります。
「ナーブVRクラウドの開発ではクライアントの成果に繋がっているかという点を厳しくチェックしています。例えば、先ほど挙げた間取り図の切り抜きを自動化したのも、クライアントの作業時間を短縮できると判断したからです」
お二人のお話からは、万能であると思われがちな先端技術だからこそ、何のために使うかを明確化する重要性が伝わってきました。Watsonの活用がゴールになるのではなく、確たる目的に応じて何ができるかを見定め、課題解決を図る必要があります。
また、不動産業界や旅行業界など幅広い業界でWatsonの活用が進む昨今。Watsonでどのような課題解決が可能かを考えるための基礎的なリテラシーは、IT業界に携わる人以外にも求められていくのかもしれません。
今後も水曜ワトソンカフェでは、登壇者の方の具体的な事例を通して、WatsonやAIに対するリテラシーを参加者と共に深めていきます。
Text:Haruka Mukai
<登壇者>
◆江澤 美保氏(システムエンジニア、法人営業)
.NET系テクノロジを使った企業向けWebポータル製品開発に長く携わったのち、独立系システムインテグレータに転職。大規模事務管理の海外移管プロジェクト、企業向け決済サービスのフィールドエンジニア等を経て、現在は先端技術(人工知能・コミュニケーションロボット)分野を担当する法人営業としてIBM Watsonの提案に明け暮れる日々を送っている。
2016年3月「第2回 IBM Watson日本語版ハッカソン」に出場し、アイディア賞受賞。
◆多田 英起氏(ナーブ株式会社 代表取締役 CEO)
1979年生まれ。 7年間の在米で日本の良さを痛感し、米国で携わったものを日本でも作れないかと考え株式会社エーピーコミュニケーションズに入社。ITコンサルティングを経験後、IT受託開発を10年以上行っており、技術を活用した新しいソリューションをテーマに KDDI社との共同特許をはじめ、技術的に特徴ある開発を行い事業部化を実現、オープンスタックシェアNo.1の米ミランティス社とのJVの構築などを行う。2015年ライフスタイルに特化したVR事業(ナーブ事業)をスピンアウトして、国内最大のVRプラットフォームを構築し現在に至る。
水曜ワトソンカフェとは
「IBM BlueHub」×「co-ba」で共催するサロンイベントです。
毎回、第一線で活躍する2名の登壇者をお呼びし、Watsonの活用方法や事例についてのプレゼンを行います。その後、参加者も加わったディスカッションの時間も設け、Watsonへの理解と多様な活用方法を共有していきます。Watsonについてまだ深く知らない人、すでに使っているユーザー、これから事業に活用していきたいCEO、CTOなどのスタートアップを率いるリーダーにとっても、Watsonの使い方や活用事例、新しいアイデアのためのヒントを得るができるイベントになっています。