放送作家、バー経営者ーーいくつもの肩書きを持つ松葉佐氏が目指すのは「自分にしかできない唯一無二の人生」 | 松葉佐 彰仁

  • 2020/05/21

16歳の時に、放送作家を夢見た松葉佐氏。合格していた早稲田大学の入学をやめ、5万円だけを握りしめ、夢を叶えるために東京を訪れた。ラーメン屋でアルバイトをしながら、下積み生活をおくる日々。お金もなく、毎日の食事は業務スーパーで購入した冷凍うどんと一切れのパンだけ。それでも、松葉佐氏は夢を叶えることしか考えていなかった。

その後、フリーランスの放送作家を経て、会社を設立。ひょんなことから24歳にして上場企業グループ会社の取締役にも抜擢される。高級マンションに住み、外車を乗り回す日々だったが、ある時ふと虚しさにおそわれて——。

これは放送作家であり、現在3つの会社(株式会社ホロポノ・合同会社ぺぺぺ・株式会社CHARMe)を経営する実業家でもある松葉佐彰仁さんの人生物語です。

松葉佐さんはなぜ大学進学をやめてまで上京したのか。下積み時代を経てどのように放送作家となったのか。そして、松葉佐さんの人生にとってco-ba shibuyaはどのような存在だったのか。お話を伺いました。

16歳の時に芽生えた「僕は将来大成する」という根拠のない自信

——co-ba shibuyaのコミュニティマネージャーから、松葉佐さんは「一言では説明が難しくて不思議な人」と説明を受けました(笑)。

光栄です(笑)。

——そもそもなぜ大学進学を蹴って上京をしたのかが気になります。

16歳の時から「自分は大成する」という根拠のない自信がありました。自信というか、もはや確信してましたね。だから、大学生活に時間を費やすより、東京に出て早く社会で挑戦したいと思ったんです。

——大成する確信?

当時から、”人と違うこと”を考えることが好きだったし、自分にはセンスがあるという根拠のない自信があったんです。今思えば、ただのイタイやつですよね(笑)。

——たしかに……少し変わっているかもしれません(笑)。

そんな16歳の時は、将来僕はどうなりたいんだろう?と日々考えていました。そして、ふと「放送作家として日本一になりたい」という目標が思い浮かんだんです。


——なぜ、いきなり放送作家……?

すごく唐突に、「あ、放送作家になりたい」と。

高校生の時に、一人で漫才をノートに書いていたらめちゃくちゃ楽しくなっちゃって。「放送作家になりたい」という感情が芽生えたんですよね。

そう思いついてからは、30歳までの自分の人生プランをすぐに考えました。

——16才のときに、30才までの人生計画を立てるなんてすごいですね。具体的にはどのような計画を?

どうせ放送作家を目指すならば、「ありきたりな人生」ではなく、「誰も経験したことのないような人生」を歩みたいと思っていました。

例えば、当時すでに合格していた早稲田大学に行けば、業界トップのテレビ局に勤めやすくなりますし、人脈も増えて業界関係者のつながりも増えるはずです。でも、それだと少しありきたりかもなあと思ったんです。

どうしたら自分の人生をもっと面白くできるんだろう。そう考えた時に思い浮かんだのが、「有名大学の進学を蹴って、学歴もお金もなく、知り合いもいないなかで上京。バラエティ番組のADとして下積みを経験し、そこから日本一の放送作家へと成長していく」という「成り上がり」の人生だったんです。

——なるほど……。自分の人生をドラマの脚本のように見立てて、できるだけ面白いストーリーを考えようとした、と。とはいえ、実際に実行にうつすのは、勇気がいるような気がします。大学進学をやめて、お金もないなかで上京したとき、周りから反対されなかったのですか?

「大学進学を蹴るなんてもったいない」「本当に成功するの?」とよく言われましたね。

そう言われる度に「この選択が面白いと思えないなんてかわいそうだなぁ」と思っていました(笑)。上京したてのころは実績もお金もありませんでしたが、いずれ大成すると確信していたので「はい、頑張りまーす」くらいにしか気に留めていなかったです(笑)。

——す、すごい……。

昔も今も、「いかに人と違う人生を歩むか」しか考えていないので、「周囲の人が行っているから」という理由だけで大学に進学したくありませんでした。周囲に流されるのではなく、僕にしかできないことをこなしていく人生にしたかったんです。

成功への道を駆け抜けた。その先に待ち受けていたある迷いとは

——松葉佐さんのすごいところは、16才のときに作った「成り上がりストーリー」のとおりに人生を歩んできたところですよね。

そうですね。19歳で上京してテレビ番組のADを経験後、21歳の時に放送作家として独立。当初はラーメン屋でバイトをしたりもしていましたが、地道に実績を重ね、23歳でPRやCMなどの企画制作を行う株式会社ホロポノを設立しました。

独立、起業したばかりのころはまだ実績も多くはありませんでしたが、とにかく気をつけていたのは「自信がありません」とか「こういう仕事は初めてです」と言わないこと。なぜこの企画が面白いのか、明確な理由を持ち、自信を持って説明する。そうすると、周りの人に納得してもらいやすくなります。そして、引き受けた仕事は必ず成功させる。そうやって階段をのぼるように手がけられる企画の規模が大きくなっていったんです。

次第に、1000万視聴を超えるインターネット番組の構成や、数万人が集まるイベントの企画演出を担当できるようになるなど、「放送作家として成功する」という目標に徐々に近づいていきました。

さらに、そんな僕を「おもしろい」と感じてくれたとある上場企業の社長から、突然「グループ会社の取締役をやってみないか」と誘われたりもして。当時は外車を購入したり、タワマンに住んだり、まさに「成り上がり」まっしぐらでした(笑)。というか凄く調子に乗っていました(笑)。

——本当に人生思い通りといった感じだったんですね。

でも、実は昨年の5月にすごく悩んでしまったことがあって。

——一見、何も悩むことがないように見えるのですが、何があったんですか?

テレビ業界で活躍する放送作家に憧れていたにもかかわらず、取締役の業務やインターネット番組制作に多くの時間を割いて、テレビ業界から離れていく自分の現状にとても悩みました。結局自分は何がしたいのか、自分には何ができるのか?突然何もかも分からなくなってしまい、途方に暮れてしまったんです。

——その状態から脱するために、どうしたのでしょうか?

とりあえずいろんな人に会いにいきました。刺激を受けながら次の方向性を探りたいと思ったんです。
co-ba shibuyaに入居したのも、その時です。今まで出会ったことがないような多様な人に会いたいと思って。

——そうだったんですね。たしかに松葉佐さんはco-ba shibuyaで様々な方とお話されているのをよく見かけます。

「たくさんの人と話すなかで、自分のやりたいことを見つけたい」というのがco-ba shibuyaに入居する目的の一つでもあったので、僕はここで仕事をまったくしてないんです。ずっと入居者の方やコミュニティマネージャーと喋っているだけで(笑)。

——co-ba shibuyaは仕事だけをする場所にはしたくないので、松葉佐さんのように人とつながることを目的に利用してもらえるのはとても嬉しいですね。 

そう言ってもらえると、僕も嬉しいです。co-ba shibuyaは、僕にとって「面白がって話を聞いてもらえる場所」なんです。「今日はこんなことがあったよ」「最近はこんなこと考えてて……」と話すと、「それ面白いね!」「まつばっさーらしいね」とみんながポジティブな反応をくれる。だから前向きにやってみようという気持ちが生まれるんです。

あとは、単純にみんなと話すのが楽しいんですよね。ふらっと来ても、いつでも僕のことを受け入れてくれる。そんな居場所になっていますね。



↑ co-ba shibuya 8周年パーティ「HOME COMING」での様子

 

人生プランをたてるのはやめた。リアルな場から生まれる偶発的な発見を楽しみたい

——色々な人と会うなかで、次なる目標は決まったのでしょうか?

たくさんの人と会って、人とのつながりのパワーを感じるなかで、リアルな場で何かできないかと徐々に考えるようになっていきました。

今もそうですが僕はテレビやCMなど、映像を通して”何か”を訴求する仕事を主軸にしています。その一方で、最近では「リアルな体験が持つ可能性」についても考えていて。極端な話、「このお茶美味しい!」と画面越しに言われるよりも、実際にお茶を飲んで「美味しい」と思ってもらうこと。それが一番の訴求効果があるのではないかと考えています。

そこで、2019年に「『見る。を体験に。』人の繋がりを楽しめる場所」をコンセプトにしたコミュニティ運営会社ぺぺぺを設立しました。

——オンライン上での情報伝達から、コミュニティでの体験を通した情報伝達へと挑戦の幅を広げているのですね。

そうですね。これまで企業は「莫大な広告費」を掛けてオンライン上で訴求していました。、一方、ぺぺぺが目指しているものは「オフライン版YouTube」です。人が来たくなるような楽しそうなイベントを企画し、集まった参加者たちに商品やサービスの魅力をオフラインの場でリアルに伝える。そして、企業から「広告費」を頂く。そんなことを実現したいです。

——例えば、これまでにどのようなイベントを開催したんですか?

「ホラー映画が大嫌いな人だけが集まってみんなで頑張ってホラー映画を見る会」「始発から飲も!朝5時から飲み会」というイベントをしたり、「お客0のラーメン屋の席を埋め尽くす会」などを予定していたりします。

——あまり聞いたことのない面白そうな企画ですね(笑)!

参加費から収益を得るのではなく、
基本的にどのイベントも全員参加費無料。参加者のハードルも下がり、より誰でも満足度高く楽しんでもらえるような形にしています。やってる僕も楽しいですし。

また、リアルな場でのもう一つの挑戦として、2020年2月から下北沢でバーも始めたんですよ。

——バーはどのような経緯ではじめたんですか?

実はバーをやろうと決めていたわけではなかったんですよね。バーを開店しようとしていたあるクライアントとコンセプトの壁打ちをしていたら、突然「松葉佐さんがオーナーになるほうが絶対に面白くなる。お願いできませんか?」と、依頼されて。なんとなく面白そうだしやってみるか!と、経験もないのにバーの経営をすることになりました(笑)。


↑ 松葉佐さんが経営する下北沢「Barハイム

——放送作家をしながら、イベントを企画したり、バーを運営したりと、チャレンジの幅が広いですね。

やっていることは僕のなかで全部つながっているんです。ぺペペで企画したイベントに面白い人が集まり、僕を面白いと感じてくれた人がBarハイムにも来てくれる。そしてその逆も然り…面白い人がドンドン僕の周りに集まってきてくれるんです。

そしてそれらをやっているのが「アイデアを売る会社」ホロポノ。あの会社何か面白そうだなぁと感じてもらうことを目標にしています。

人とのつながりのなかで、自然発生的に、連鎖しながら面白いことが生まれていく。それが今とても楽しいです。「成り上がり」とはまた違う形でまた面白い人生がはじまろうとしていると感じています。

——ちなみに、16才のときに立てた「成り上がりストーリー」のような、明確な今後の人生プランはあったりするんですか?

今は以前描いていたような明確な人生プランはないですね。昨年の5月にゴールを取っ払ってみたら、意外とスッキリした。それはそれで楽しいなって。だから、今のところは明確すぎる人生プランを決めすぎず、ホロポノやぺぺぺ、Barハイムで生まれる偶発的な面白さの相乗効果を楽しんでいきたいと思っています。

 

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16歳の時から戦略的に人生ストーリーを考えてきた松葉佐さん。いつもco-ba shibuyaにやってきて、私たちには思いつかないアイデアを話してくれ、スタッフも楽しませてもらっています。面白さを探求し続ける松葉佐さんが、今後どんなことを仕掛けていくかが楽しみです。


[Profile] 松葉佐 彰仁

1994年5月2日生まれ
放送作家/PRコンサルタント/CM演出

テレビAD時代に日本テレビ「人生が変わる1分間の深イイ話」、フジテレビ「とんねるず特番」などに携わった後、3年後に放送作家として独立。
フリーランスの放送作家として、数々の企画構成に携わったのち、"アイデアを売る会社"「株式会社ホロポノ」を設立。
また、同年8月には東証マザーズ上場の株式会社リアルワールドのグループ会社となる「株式会社カチコ」を設立。
取締役に就任しクリエイティブディレクターとしてコンテンツ制作を手掛ける。

2019年5月、見たいを体験に。というコンセプトのイベント会社「合同会社ペペペ」を設立。
2019年8月、人と人を繋げる場「Barハイム」を運営する株式会社CHARMeを設立。

日中はホロポノとペペペの活動をし、19-24時でBarハイムの店長として毎日営業中。

株式会社ホロポノ
http://holopono.co.jp/

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