時には人間のクイズ王を打ち負かし、時には医者として新たな治療を提案、時にはシェフとしてレシピも考案する。様々な活躍をする「IBM Watson」は、日々のニュースに登場。実際のビジネスにおける課題解決のソリューションや、新たな事業創出を実現するツールとして、Watsonは活躍の場を広げています。
IBM BlueHubとco-ba が共催する「水曜ワトソンカフェ」は、そんなWatsonのリアルな活用法を共有し合い、現状の課題や今後の可能性について議論し合うサロンイベント。2017年最後となる第5回目が11月29日にco-ba shibuyaで開催されました。
通常では、登壇者の方が短いプレゼンを行いますが、今回はこれまで水曜ワトソンカフェに参加してくださった登壇者の方を集めて座談会を実施。2つのパネルディスカッションを通して、WatsonやAI活用のこれまでと未来について複数の視点から意見を交わしました。
(左から順に井上さん、江澤さん、富田さん)
一つ目のパネルディスカッションの登壇者は、ITエンジニア兼ITコンサルタントとしてWatson導入支援やセミナーを行う井上研一さん、Watson含む先端技術の法人営業を行う江澤美保さん、Watsonを用いたシステムやアプリ開発に携わるソフトウェアエンジニアの富田篤さんです。井上さんは第1回目と第4回目に、江澤さんは第3回目のワトソンカフェに登壇されています。
お三方ともWatsonを用いたシステムやウェブサービス開発・導入に携わってきており、Watsonのあるある話や、来年にかけて注目のWatson APIをテーマに議論を交わします。
まずはWatsonを用いて開発を行う上での注意すべき「あるある話」について江澤さんが話題に挙げたのはWatson APIのラインナップについて。現在、IBMのアプリケーション開発プラットフォーム「IBM Cloud」では10個のWatson APIが提供されています。
このラインアップは、APIの追加や終了によって常に変化するため、「Watsonを利用する上ではAPIの変化を想定しておく」必要があるそうです。
例えば、江澤さんが利用していたAPIのなかでは、会話データから簡単にチャットボットを開発できるAPI『Dialog』が昨年終了し、最近では全文検索と順位付けを行う『Retrieve and Rank(R&R)』もサービス停止が発表されました。
江澤さん「『Dialog』も『R&R』もお客様に導入いただいていたので焦りましたが、いずれも移行まで猶予期間があり、代替となるAPIが提供されていたので問題ありませんでした。ただし、いつでも終了の可能性があることは想定しておく必要はあると思います」
江澤さんと同じく「R&R」を用いたシステムを導入してきた井上さんは、「IBM Cloud」では「ほとんどの場合、終了するAPIに代わる高機能なAPIが提供される」と説明してくださいました。
井上さん「例えば『Dialog』の提供が終了した後、より簡単にチャットBOTを開発できる『Conversation』が提供されました。また、『R&R』に代わる『Watson Discovery』は、テキストの文面だけでなく、その文章の『意味』をメタ情報として保存し、人間が話し言葉で打った質問にも、『意味』を元に適切な情報を返してくれます」
ラインナップの変更はWatson APIの機能を強化し、より高性能なシステムの開発を可能にしているようです。
続いて「あえてWatsonの課題を挙げるとしたら」というテーマについては、江澤さんが画像認識を行うAPIの『Visual Recognition』のオプションであった『Similarity Search』の終了に言及。「また別の形で同じ機能を復活させてほしい」と熱く語りました。
『Similarity Search』は、画像検索をすると事前に登録した画像データの一覧から、最も類似した画像を返すAPI。同APIをアプリの開発に用いた経験のある富田さんは、強みについてこう語ります。
富田さん「『Similarity Search』のように前準備が少なくて済む点がWatson APIの強みですよね。画像認識機能の『Visual Recognition』はTensorFlowなどを使う場合に比べて学習時間も短いですし、画像の枚数が少なくても何かしら結果が返ってくる。
以前、『 Visual Recognition』を使って勉強会で寿司ネタのトロの種類を判別するアプリを作ったのですが、ほぼ5分でデータの処理が完了し、速度に驚きました。もちろん環境にもよりますが、同じ機能を持つ他社サービスに比べて、圧倒的に使うハードルは低いと思います」
(富田さんがハッカソンで開発されたアプリ)
さらに井上さんはWatsonならではの特徴として「自身が格納したデータを元に学習させられる」点を強調しました。
井上さん「他社のサービスでは自社のデータを使った学習ができないものが多い。画像から一般的な認識を行えば良いだけならそれでも構いませんが、自社しか持っていない画像やデータを認識させたい場合、Watsonは魅力的ですよね」
例えば、製造業のような企業が自社の製品に異常があるかといった認識を画像から行いたい場合は、Watsonのように独自のデータで学習できるサービスでないと実現できないのだそうです。
来年注目すべきWatson APIについてたずねられると、井上さんと江澤さんは真っ先に『Watson Discovery』を挙げました。
全文検索と並び替えを行う『R&R』に代わり、『Watson Discovery』では意味を読み取って検索を実施します。江澤さんは同APIに次のような機能を期待しているそうです。
江澤さん「テキストデータを取り込む『クローラー』や、入力した文書から意味を読み取り、メタデータとして保存する『エンリッチ』などの機能を試すのが今から楽しみですね。これまではテキストデータを別のソフトで変換してからAPIに流す必要がありましたが『Watson Discovery』ではAPIだけで完了しますから」
「得られたメタデータからニュースや問い合わせ文など、テキストデータの傾向分析を行うのも面白そうですよね」と語る江澤さん。現在『Watson Discovery』のエンリッチは日本語対応が完全ではないため、二人は来年以降の日本語の完全対応を待ち望んでいるそうです
富田さんはAPIではなく、今年8月に『IBM Cloud』上で利用可能になった『IBM Watson Machine Learning』を選びました。これは、株価や業績など多様な“予測”を行う機械学習モデルを作成し、アプリに組み込むことのできるプラットフォームです。
富田さん「現状では、要因から導ける結果を樹木状に分類する『決定木』と、『選択』の二種類のモデルしか選択できませんが、来年以降の機能が強化されていくはずです。
また、IBMのデータ分析用プラットフォーム『Watson Data Science Experience』も『Watson Machine Learning』と併せて利用できます。本格的なディープラーニングは難しいけれど、機械学習を用いたシステムやアプリを開発したい人にとって、この二つの組み合わせは大きな味方になってくれるでしょう」
二つ目のパネルディスカッションの登壇者は、ストーリー解析システムで知られるクロスリバ株式会社 代表取締役の川合 雅寛さんと、UXデザイナー兼エンジニアとして活躍されているHCD-Net認定 人間中心設計専門家の羽山 祥樹さんです。お二人は第2回目の水曜ワトソンカフェに登壇し、羽山さんは第4回目にもプレゼンを披露してくださいました。
Watson API「Watson Tone Analizer」を用いて、事業の軸となるストーリー解析システムの開発を行う川合さんと、奥様との相性診断や推しアイドルを認識させるなど、Watsonをユニークに使いこなす羽山さん。日頃からWatsonを駆使しているお二人から、WatsonやAIを活用する上で必要な心構えについてお話を伺っていきます。まず、話題になったのは「楽にWatsonを使い始めるには?」というテーマです。
川合さんは、Watsonありきではなく自分の課題ありきで、必要なシステムを構築していくことが重要だと語ります。例えば、川合さんがストーリー解析システムを開発した際には、ストーリーの骨組みを表したテキストの解析や単語の分解など、各機能ごとに他社のAPIを比較検討をしていました。
川合さん「私が開発しているストーリー解析システムは複数のクラウドサービスで構築されています。『すべて一社で揃えよう』とするよりも、『そもそも自分はどのような課題を解決したいのか』を明らかにした上で、最適な機能を撰び取る意識。これが結果的にWatsonを楽に使い始めることに繋がるのではないでしょうか」
川合さんの開発する側からの意見を受け、羽山さんはユーザーが楽に使い始めるために考慮すべき課題点を指摘します。
AI分野では、どうしても技術先行で開発が進む機会が多くなるため、Watsonを用いた業務アプリケーションは、現場のユーザーにとって使いづらくなってしまうケースも多いそうです。
羽山さん「例えば、『Watsonを用いたアプリケーションを導入したがオペレーターが使ってくれない』という相談を受けました。そこでアプリケーション画面を見たら、ボタンの名前や説明文がエンジニア用語で溢れていて…。それらをすべてわかりやすい日本語に置き換えただけで、みんなが楽に使えるようになったんです。ユーザー視点に立つだけで、一見複雑そうなWatsonの活用がグッと身近になる可能性もあります」
相手にとって使いやすいシステムを設計する必要があるという羽山さんの意見に、川合さんも深く頷きます。川合さんはWatsonのようにAIを用いたシステム設計も、「通常のコンピューティング設計と変わらない」と指摘し、基本に立ち戻る必要性を語ります。
川合さん「『AI』や『ディープラーニング』となると、何でもできると期待する人も多いと思うのですが、『情報をインプットして、その結果アウトプットが得られる』というコンピューティングの基礎的な部分は変わりません。その間で複雑かつ高度な処理が可能になったと理解するべきです」
羽山さんも、AIのシステムだからといって、AIが課題とは限らない。システムを使うユーザーの体験全体を見渡して、本当の課題がどこにあるのか探るべきだと、事例をもとに説明してくださいました。
羽山さん「例えば、Watson APIの『R&R』を用いた業務用の検索システムに、現場のユーザーから『使いにくい』という声が多く上がっている、という相談がありました。
AIのシステム、という先入観から入ると、AIの学習精度がダメなのではと考えてしまいがちです。でも、自分が現場に入って、ユーザー観察をしてみると、まず根本的に、検索結果の画面の文字サイズが小さい。頻繁に検索をする業務において、これでは使いづらくて当然です。そこで、まず文字サイズを直したら、すぐに苦情がなくなりました。つまり、根本的な課題は、AIとは関係なかった。
もちろんR&Rの精度改善を行うこともあります。ただ、そればかりが課題とは限らない。『AI』という便利な部品が増えたと捉え、業務全体を冷静に観察しなければいけない。忘れてはいけないのは、AIを導入することが目的ではない、ということです。目的は業務を改善することです。それを取り違えない。ユーザーの体験全体を見渡した上で、どこに課題があるのか、きちんと見出していくことが大切です」
『AI』や『ディープラーニング』といった言葉に惑わされず、冷静に最適なシステムを構築するために、川合さんは「スモールデータ」から始めることを推奨しています。それはWatsonの強みでもあるといいます。
川合さん「ディープラーニングでは最低でも数百万件のデータが必要になりますが、Watsonでは比較的少ないデータでも結果が返ってきます。これはWatsonの大変優れた点です。
AIやディープラーニングに興味がある場合、まずはWatsonで手元にあるデータをいじってみる。そこで何が返って来るかを確認した上で、どのように開発を進めるかを検討できますから。先走って不要な労力やコストを避けられます」
「まずはちゃんとデータがあるかを確かめてからですよね」と羽山さんが付け加えると、川合さんが、改めてデータについて検討する必要性を述べ、ディスカッションを締めくくりました。
川合さん「このイベントでも繰り返し言われてきましたが、まずは手元にどのようなデータがどれくらいあるのか、どのような結果を得たいのか整理しなければいけませんよね。
そのために、Watsonを使って安価に小規模な検証を始めてみるのは有効な手段だと考えています。実際に使ってみると、どのようなデータが必要かをより具体的に把握できますから」
パネルディスカッションの前半では新たなAPIやプラットフォームへの期待が語られ、後半では基礎に立ち戻る重要性が語られていました。来年も進化を続けるWatsonを活用するには、変化を追うだけではなく、解決したい課題やユーザーと真摯に向き合い、改善を重ねる姿勢が求められるのではないでしょうか。
Text:Haruka Mukai
<登壇者>
◆井上 研一 氏(aka inoccu)
東京都中野区に住むITCA認定ITコーディネータ、ITエンジニア。現在も開発の現場に立ち続けるほか、執筆・セミナー・研修など行っています。2016年10月に書籍「初めてのWatson APIの用例と実践プログラミング」、2017年7月に「ワトソンで体感する人工知能」を刊行。中野を中心としてIoT+AIもくもく会も主催。
◆江澤 美保 氏(システムエンジニア、法人営業)
.NET系テクノロジを使った企業向けWebポータル製品開発に長く携わったのち、独立系システムインテグレータに転職。大規模事務管理の海外移管プロジェクト、企業向け決済サービスのフィールドエンジニア等を経て、現在は先端技術(人工知能・コミュニケーションロボット)分野を担当する法人営業としてIBM Watsonの提案に明け暮れる日々を送っている。
2016年3月「第2回 IBM Watson日本語版ハッカソン」に出場し、アイディア賞受賞。
◆富田 篤 氏(株式会社 プロト コーポレーション R&Dラボ 拠点責任者)
フィールドエンジニア、ソフトウェアテスト設計エンジニア、VPNサーバーの開発・ミドルウェア開発・Webフロントエンド開発などを経て、 2005年にプロトコーポレーションへ入社。社内システム開発、自社運営サイトの開発およびディレクションを担当後、子会社設立出向時の社内システム開発とWeb制作およびシステム開発部門の立ち上げに参画。2010年には、広告業界ではいち早くスマートフォン・タブレットアプリの開発を手がけ多くの商品を創出。ウェアラブル端末やIoTなどの取り組みの一環としてコミュニケーションロボットを活用したソリューションの開発を推進する。
現在は新技術の商品活用を推進する「R&Dラボ」にて、画像認識技術・音声認識技術・Deep Learningの活用などに取り組む。
iOSコンソーシアム 開発技術WGサブリーダー。iOSに限らず、AI、AR/VR、ロボット、IoT、ウェアラブルなど広い分野の技術活用・ビジネス活用を推進する。
◆川合 雅寛 氏( クロスリバ株式会社 代表取締役)
1980年2月、山形県出身。
上京後、日立製作所入社。中央官公庁のSI事業を担当後、2008年にソフトバンクにて転職。モバイルとsaasにて、モバイルインターネットの世界を実現に貢献。
現在は、2013年に立ち上げたクロスリバ株式会社にて、宇宙時代のエンタメカンパニーを目指し、次世代のストーリーテラーをサポートする、ストーリーテック領域にチャレンジ中。
◆羽山 祥樹氏(インフォメーションアーキテクト)
使いやすいウェブサイトを作る専門家。担当したウェブサイトが、雑誌のユーザビリティランキングで国内トップクラスの評価を受ける。専門は人間中心設計(HCD)、ユーザーエクスペリエンス(UX)、情報アーキテクチャ(IA)、アクセシビリティ。HCD-Net認定 人間中心設計専門家。CNET Japanブロガー。また、大規模CMSや人工知能のエバンジェリストも努める。
水曜ワトソンカフェとは
「IBM BlueHub」×「co-ba」で共催するサロンイベントです。
毎回、第一線で活躍する2名の登壇者をお呼びし、Watsonの活用方法や事例についてのプレゼンを行います。その後、参加者も加わったディスカッションの時間も設け、Watsonへの理解と多様な活用方法を共有していきます。Watsonについてまだ深く知らない人、すでに使っているユーザー、これから事業に活用していきたいCEO、CTOなどのスタートアップを率いるリーダーにとっても、Watsonの使い方や活用事例、新しいアイデアのためのヒントを得るができるイベントになっています。